ええと、更新がしばらく止まっていました。申し訳ないっす。
ただ、その間何も文章らしいものを書いていなかったというわけでもない。むしろいろんなことを考えさせられることが多く、また、いろんな人のミクシィなどの日記にコメントと言いながら山のような文章を書き込んでいる。その中には詩などの即興創作もある。それ自体として満足のいく出来になっているので、そして送った方にもとても喜んでいただいているので、それは自分としてもとてもうれしいことだった。 実際に文章に向かうとなると、対象との間の距離感というのは非常に重要な意味を持ってくる。ことに、ミクシィなどのような、一見閉じたコミュニティであっても、先方の日記が「全体公開」になっている場合には気を使わなければ、と思うこともしばしばある。 けれど、だからといって、言いたいことや書き込む目的などが相手によって違ってしまうということではない。その趣旨には一貫性がなければ、先方はもちろん、先方の属するコミュニティの方々にも、そして「全体公開」の場合にはミクシィ全体の方にも何も伝えることが出来ないだろう、と思っている。それはトータルとしての自分という総体の存在意味でもあるし、そうした生命体としての自分というものの存在確認ですらある。 そうした意味で、ここのところかなり小難しいことを、なるべく平易な言葉で相手に伝わるように(ときにおちゃらけも含めて、そういう自分も自分として伝わるように)、物事を考え、感じ、書いてきたと思う。そのことについてはそれなりに自負がある。 そして、表現するということの難しさを改めて感じてもいる。 振り返ってみると、文章というものはいったい何をどんな目的で誰に伝えるものなのか、といった本当に基本的な「文章を書く」ということについての目的なり、誤解を生じないためのテクニックなりといったものが、どんなに大事なことか、改めて思い知ったと言えなくもない。 ここに書いていることも、実際ぼくはいままでそのつもりで書いてきたわけで、何か、を「自分が」どんな風に「感じ」、その何かのどういうことを不特定多数と言えるネットワークという情報の一部として「伝え」たかったのか、ということが、その主要な目的であったことに変わりはないわけです。 そういった意味で、もしも誤解を生じることがあったら、どんどんそういったことを指摘してください、というつもりで書いている。そのためにぼくはエキサイトのブログを利用させてもらっているわけで、なんとなれば、その機能の中に、「シークレット・コメント」という機能が用意されているために、書き込んだ本人をぼくがリアルで知っていれば、きちんとした答えを返せるように、という考えでここを選んだということもあるわけだ。 現在その機能を、必ずしも有効に使ってくれる人がいない、ということについてはある意味残念なわけです。だからこそ、もっと突っ込んで、たとえぼくが気分を害するようなことでも、ぼくの考えがおかしいと思ったらどんどん書き込んでいただきたいと思うし、それでぼくが気分を害するという心配はしないでいただきたい。まずそういう心配はないから。ホントに、マジで。 それが同じ土俵の上に上がれることであれば、どんどんぼくもそこに上がります。そういうことでお互いヘンな妥協はしたくないでしょ?納得したいでしょ? とまあそういうわけで、、 前置きが長くなりました。 今日はたばこについて取り上げてみたいと思う。 ぼくはヘビー・スモーカーです。はっきり言って。まあ、少なくとも吸う人の中でも、かなりヘビーに吸うほうだと自覚している。中途半端に自分の満足できそうなものを選んでもらって、というような形で銘柄は選んでいないし、自分が吸っていて気分がいい、と思うものを吸っている。決して高い銘柄でもないし、まあほとんど標準的なものですけど。 でもだからといって、たばこがからだに悪くなんかない、というような正当化をするつもりはまったくない。実際問題として、ぼくだって吸いすぎて気持ちが悪くなることもある。睡眠の質も吸っていないときよりも、格段に落ちているだろうと思う。集中力にしても、運動能力にしても、そうしたものすべて脳内の働き、からだの中の変化について、いい影響を与えないだろう、ということは自明だと思いながら、それでもなおかつ主体的にたばこをやめる、という選択肢をとる必要をまったく感じていない。もしそれでがんになって死んでも、誰かに対して恨み言を言うつもりはないし、植物としてのたばこがこの地球上に存在したことについて、何も文句を言うつもりはない。 とても矛盾した言い回しに聞こえるかもしれないけれど、ぼくの中ではそれははっきりしている。たばこ、という植物に、何か特別な罪があるわけでもないし、結局人間の側として、その毒素を利用して快を得ようとした、ということに問題があるわけで、それは言ってみれば人災である。ぼく自身が吸い始めた動機は別として、そうした人災の部分は甘んじて受けようと思っている、ということだ。 だから、嫌がる人の前では極力吸わない努力をするし、いわゆるマナー違反に相当すること(歩きたばこ、ポイ捨て、路上禁煙区域での喫煙)はするつもりがないばかりか、そうしたところにしか行かないとわかっている場合にはたばこを持って出ない。 じつはそういう場合でも何かの拍子にどこかの店に入ってしまって、たばこが吸えるにも関わらず、ずっと話し込んでいる間、一本も吸わなかった、ということはいままでたくさんあるし、あえてそういうときに「あ、ちょっとたばこ買ってくる(取ってくる)」なんてことは言ったことがないです。 以前はそうではなかったけれど、少なくとも、歩きたばこって不味いですよ、マジで。 ぼくは歩くことが好きだし、山登りなんかも好きだけれど、まさかね、登山道で息が苦しいさなかにたばこ吸いたいと思う人はいないでしょ?ほっと一息、というときにはもちろん携帯用の灰皿を取り出してぼくも一服つけますけれど。 あと、美味しいお酒を飲むときに、ぼくは絶対その前にはたばこをつけません。酒の味がとんでもなく不味くなります。これはホントです。うそだと思ったら試してみてください。気持ちよさがぜんぜん違うはずだから。 もっともぼくはここのところいろんな意味でアルコールは控えざるを得ない状態なので、それをやることはまずないですけれど。 また、ポイ捨ては不潔であるばかりでなく、見ている人からすれば、すごくみっともなく見えるものです。なにしろ1997年ごろのサンフランシスコの街中なんて、道が灰皿状態で、みんな次々に歩きながら吸って、ぽいぽい捨てていた。なんかあんなところではぼくだってかなりうんざりしました。そうやって吸いながら歩いている人はそういう感覚が麻痺しているんだろうか?とかなり真剣に考え込んでしまったことを覚えている。 まあ、あのころはそうした禁煙活動の中間期で、街の店やホテルによっては全室禁煙だったり、泊まる部屋によって額がかなり違ったりしたのですが、ぼくがはじめに泊まったあるホテルで禁煙ルームに入れられて、フロントに「こりゃ違うじゃねぇか!」といったら向こうが困った顔をして「しょうがないから窓を開けて吸って、吸殻は外に投げろ」と言ったときには、なんだか開いた口がふさがらなかった。おい、禁煙ルームってそんな程度のものなのかよ、とも思った。あほらしくて逆に吸う気もなくなっちまいました。 アメリカのダブル・スタンダードというものを実感した瞬間でもあった。おいおい、それじゃナニやっても世界中から「あほか!」と言われるようになっちまうぜ?と思ったのを覚えているし、実際いまのアメリカの行動を見ると、ああああ、と思わざるを得ないんです。残念ではありますが。 たばこから話がそれるとまずいので、軌道修正します。 そもそも、たばこという植物から見た人間の行動、という観点から、たばこが人間の麻薬という形で定着するまでの過程を考えてみたかった、というのが、この文章を書きはじめたきっかけというか、動機なわけです。 生態系として、植物の中でたくましく、そしてかわいらしい花をつける植物としてのたばこという一年草は、いったいどんな風にして、ニコチンという毒素、その他多くの発がん性というような物質を手に入れて、彼らはそれを何に役立てているのだろうか、と言うようなことについてはほとんど自明である、とも言えるわけですね。 彼らはそれによって、自分の種の保存に妨げになるような虫や小動物、病原体から身を守ってきたわけです。そうやって自分の体内に対しても害になるかもしれないけれど、少なくとも種を保存するためには必要悪的に毒物を体内に蓄積する、というケースはまったく普通に生命体がいままで行ってきた自己保存、または種の保存のための方法なわけですね。 ということで、それが快をもたらすかどうか、なんてことはたばこくんたちにしてみれば、ホントにどっちでもいいことなんです。言ってみれば、快と苦痛というのは紙一重という性格があるということもあって、人間はそれをまず第一に、快というポイントに着目した。そして毎日燃焼吸引(ないしは噛んだり、香りをかいだり)して、次第に中毒化していったとしても、それに対してあまり文句を言わなかったわけです。 ところが、昨今の健康ブームは、もともとからだにとって害である、というようなものを撲滅しよう、なんて、明らかに馬鹿げた一側面をも持っているわけで、たばこくんにしてみれば、なんとまあエキセントリックなことを人間たちはやってるんだろうなぁ、と感慨深げにため息をついちゃったりなんかしちゃったりしてるかもしれないわけだ。 まあねぇ、たばこくんの側からすれば、あるときにはさんざもてはやされて、なんだかここんとこいやに居心地がわりいなあ、とかも思ってるだろうと思うわけです。 ぼくだってそんな風に手のひらを返したように応対が変わったりしたら、もうそういう連中と会いたくもないし、気の毒だとは思うけど、そういう連中の先がどんなだか見えちゃったりすることもあるわけです。どうせたいしたもんじゃねぇだろうなぁ、というわけ。 マジな話、ホントにこういうことに関しては人間さまは偉そうですなぁ。一体全体地球という星の上で暮らすすべての生命体の中で(それは地球全体=ガイアという捉え方があるほど大きな生命体の一部の細胞とも取れるわけなんだけど)、ナニサマだと思ってやんでしょうね。 うんうん、とここでうなずいたアナタ、それももしかしたら別のところでアナタ自身がやってるかもしれない問題なんだぜ。ぼくだってやってるしね。 と、いうわけで、まあたばこくんに話を戻してあげると、まあ人間ってずいぶんてめえ勝手にものを考える種族なんだわ、って思ってるに違いないわけです。待遇だってなんだか最近はどんどん悪くなる一方なわけだし、別にそれがたばこくんがなにかしたかということとは、何も関係がないわけであるにもかかわらず、ってことなんだよね。 そうなっちゃうと、もう人間から見たってピンクの小さなかわいらしい花をつけるだけで、でも自分としてのたくましさを求めて生きてきた結果、自分としては不本意ながらもそうした毒素を自分を守るために取り入れざるを得なかった植物としては、なんとも哀れな状態に追い込まれてしまう。 ようは槍玉にあげられた冤罪に過ぎないわけです。その冤罪は結局人間サマが勝手に自分の都合のいいように作り出した流行という、まあほんの一時的な知恵熱みたいなもんだったとしたら、こりゃ、たばこくんにしたらやりきれない、死んでも死に切れないことにもなっちゃうんじゃないかとぼくなんかはマジで心配しているわけです。 もしもそういう立場におかれた自分がいた、と想像してみてください。 そういう風に扱われて、世の中の風が変わったからといって突然悪の権化みたいに槍玉にあげられて血祭りになっちまったとしたら、アナタ成仏できますか? ほんとはたばこ問題ってそこまで考えなきゃことの本質って見えてこないんじゃないかなぁ。実際みなさんどう思われますか? >小難しいことを、なるべく平易な言葉で相手に伝わるように これができればいい物書きになれますよね。 「自分にしか書けないことを、だれにでもわかるように書くのがプロ」 と井上ひさし氏も言っておられます。 『井上ひさしの作文教室』 (新潮文庫) 文章を書く上での私のバイブル的な本です。 文章で何かを伝えるというのはむずかしいですね。 昨年小冊子の編集の仕事を手伝ってつくづくそう思いました。 私はたまに日記を書きます。 書くことで思考がクリアになったり、気持ちが落ちついたりします。 書くことって楽しいですよね。 たしかに、捨吉さんはタバコのマナーはいいですね。 携帯灰皿は常に携帯してるし、登山などでも、休憩で吸うときは 少し人から離れて、煙が他人にあたらないようにしてる。 さりげなく吸っているので、そんなにヘビースモーカーには みえないですね。 僕はタバコは呑まないので、タバコの毒に関しては疎いかもしれない、でも、僕はお酒は少し飲みます。捨吉さんの思考からいけば、 ホップや酵母菌なども種の保存としてそういう生き方を選択したのかな?なんて思ってしまいます。 今、絶滅種といわれる動植物、それは、人間側から見た勝手な偏見でラベルを貼られ、逆に守られるかもしれない。 え~と、兎に角、人間も動物、それを忘れてはいけませんね。地球規模から言えば特別な存在では無いのかもしれませんね。 みなさんコメントありがとうございます^^ ただ、まだ論旨そのものとしてどうか、という肝心なぼくの問いかけに対しては、とりあえずまだきていないものとして、判断はまだ控えさせていただきます。ご了承のほど…。 また、一人一人へのコメントが長くなりましたので分けさせていただきます。 >まえださん なるほど。確かにそうですね。ただね、逆に言えば論旨を明確にして難しいことを書くにしても、崩し方さえ知っていればいくらでも読みやすくできるんですよ。 この文章の終わりの方をよくよく文脈的に解析してみるとそれはわかると思うんです。文章というのは、いったん思いついた(ないしは人から聞いた)ことをそのまま出していては、説得力のある言葉にならないので、空っぽの印象しか出せない。咀嚼、消化、吸収、昇華、そして自分の言葉としてのリズムをつくっていく、という過程がなければ、人には読んでもらえない。その際に当然何度も繰り返して読んで、いい足りないところを付加し、言い過ぎているところを削除する。客観的な目がどうしても必要なんです。 バランスも大事。一枚岩的な意見は論破されやすい。そういうことも頭に入っていなければ、外に向かっては文章を書けないんです。 自分のためには、そこまでやる必要があるかどうかは、自分次第なんだけどね。。 >ねこちゃん そう見えるとすれば、僕としてもうれしいですねぇ^^ ただ、マジで気がついたら…の状態になっているときは多いです。一晩であっという間に一箱なくなったこともあり、コンビニに慌てて買いに行くことも多し。。。だめじゃん…orz >こぞちゃん そだねぇ、ただ単純に酵母とかホップ、エタノールなんかはごくごく自然に存在するものだから、特に違和感があるわけでもないけどね。 ホップを使った飲み物「ホッピー」は、実はプリン体がゼロなので、尿酸値を上げる働きがないので、からだにむしろいいしね。 ただ、アルコール自体はからだにいいところは何もないです。せいぜい消毒するのに使えるくらい(ようは消毒できるほど抗生効果が高いので、ソレは逆に言えば人体にだって有害なわけですなw)。 アルコールはホンマに、飲みすぎ注意ですわ。。気をつけてね^^ 初めてコメントさせてもらいま~す(*∩_∩*)y゛ 捨吉さんは他人に迷惑をかけなければたとえ体を壊したとしてもタバコを吸いたいってことですな。そうですよね~、自分の健康ですし、それで自分の体を悪くしても構わないと言うのであれば、まあ、いいのかもしれませんね~。 ただ、COPDになって、酸素ボンベがなければ生活できないようになっても構わないのでしょうか? さらにタバコは例えば脳梗塞になる確率を上げたりもします。脳梗塞になり、他人の介護が必要になるようになったとしても、タバコを吸い続けますか? 最近禁煙外来が保険適応になりました。保険を使ってまで喫煙者を減らしたいのです。 なぜでしょう?それはタバコを吸う人が体を壊し、医療費がかさむからです。ちょっと大げさな表現になりますが、タバコを吸うだけで、近くにいる人に迷惑をかけるばかりか、国民全員を苦しめる事になるわけですよね。 さて、捨吉さんは自分の体を傷つけ、近くの人に迷惑をかけ、国民全員に迷惑をかけ、それでもタバコくんのかたをもちますか? アルコールの話がでてるので、ついでにそっちにも触れておきますね。 >抗生効果が高いので、ソレは逆に言えば人体にだって有害なわけですな いえ、これはまったく関係ありません。消毒用エタノールは70% それにくらべて、血中のアルコール濃度は0.5%で死に至ります。普通は0.1%程度です。この濃度で抗菌効果はないでしょう。 >「ホッピー」は、実はプリン体がゼロなので、尿酸値を上げる働きがないので これも大きな勘違いです。プリン体を大量に摂取するのはもちろん良くりませんが、プリン体とは主に体内で作られるのです。 そして、アルコールは代謝されるときに大量のプリン体をつくりだします。ビールはもちろん中に入っているプリン体も良くないのですが、それよりもアルコールによる影響のほうが大きいのですよ。 アルコールが体に良い。うん、そうです。酒は百薬の長といいますよね。少量のアルコールは体によいのです。ただし反対に百毒の長ともいいます。飲みすぎには気をつけましょうね(≧∇≦)b >meroちゃん おいでなさいまし^^ 乗ってきましたね、イヒヒ。。というわけでもないんだけど。。 結果的に、どう考えるかって問題提起だけなんだけどね。まず第一に、たばこを吸うか吸わないかは主体的な問題なので、これからどうするかってことにはぼくは触れていないつもりです。ただ、いまは一日一箱程度は吸っています。 それと、国民って考え方はぼくはしていません。医療費がかさむのは、その病気のもとをたばこ、と限定してそのせいにして自分のせいにしない、という部分もあるんでは?ぼくはそれを医療にゆだねるとも言っていませんし、まして税金の負担になるようなことはなるべくなら避けたいと思っています。 ただ、純粋にたばこくんという生命体が世の中に存在するという事実を率直に認めてあげてもいいんじゃない? to be continued >meroちゃん No.2 アルコールに関してはまあmeroちゃんのほうが詳しそうだからそちらに譲ります。 ただ実際問題として、ぼくは去年アルバイト先で飲み会があったときに、ホントに久々に(4年はあいてると思う)ビール一杯飲んだだけでべろべろになっちゃって、3日くらい残りました。 ぼくのテニスのバイブル的な本にも、糖分は当日は過度にとりすぎないこと、とアルコールは2週間は試合前は絶つこと、というのが前提になってました。 テニスって実は脳の覚醒度的にはそんなに高くないんです。そういう状態でからだを動かすには、どちらかといえばからだの反射に頼るしかないわけ。アルコールはそれを極端に低下させます。これは実感。 それとホッピーについては、そういうある種のビール飢餓的なときに役に立つかもよ、という感じかな^^ >meroちゃん No.2 補足です。 実際の試合(たとえばダンロップ社会人選手権とか、まあその手の大会ね)のとき、ホントにからだがよく動いてるときは、頭は真っ白です。夢見てるみたい。で、からだはAT車に乗ってるみたいになるんだよ。 なんて簡単なんだろうとか思っちゃう。 でもそういうときって、ボール以外何も見えていないわけ。それって気持ちよく寝てるのとほとんど変わらないんだよね^^ 補足の補足ww ときどき、何の気なしに打ったアプローチショットを相手が取れなくてエースになっちゃったりしたときなんかに、「おい、このくらい返してくれよな!」とか思ったりはしますがwwww にゃははw そうそう、言い訳がましく聴こえるかもだけど。。 必要性を感じていない、ということとこれからどうするか、ということは分けて考えています。ぼくとしては、それを吸って不味い、と思うときには吸っていないし、何かに集中してやっているときは何時間でも吸うのを忘れていたりする。 巷では、中毒性があるからたとえば平均的に時間単位でのニコチンの量が足りなくなったら手を出すようになっているように書かれているけど、実際にはそれほど強い中毒性を感じてはいないんです。 ようは習慣(意識的な習慣と強迫観念が入り混じった意味での習慣)が、中毒性に拍車をかけてるんじゃないか、って思うんだよね。世の中がいっせいに「反喫煙」を唱えだしたら、それに対する反動みたいなものがでてきてる、とかね。 そういう見方をしてると、別にあってもなくても、ぼくにとっては、命に関わるまではそれほど重要な位置を占めていないのかもしれないね。 命に関わったときにどうなるか、は、そのときになってみないとわかんないですw はっきり言ってww にょろ~。 >その病気のもとをたばこ、と限定してそのせいにして自分のせいにしない、という部分もあるんでは? 原因の全てをタバコに押し付ける事は出来ません。ただし、確実に癌などの病気を引き起こす力があることが、実験とそしてデータから明らかになっています。 一個人で見た場合、その原因がどこにあるのかを突き止める事はむつかしでしょう。しかし、大きなまとまりで見た場合、病気になる確率は大幅に上がり、医療費はかさむのですよ。 >ぼくはそれを医療にゆだねるとも言っていませんし 確かに言ってませんが、病気になっても病院へいかないんですかい? >純粋にたばこくんという生命体が世の中に存在するという事実を率直に認めてあげてもいいんじゃない? 植物としてのタバコが世の中に存在するのはいいことですよ。種を絶滅させるのはよくないことですからね。 ただ、製品としてのタバコは中毒性があって、確実に体に悪い、と解っているのだから絶滅させてよいと思います。だって、麻薬に近いものがありませんか? いや、もっと悪いですね。麻薬、覚せい剤は薬として使えますが、タバコは薬としては何の役にも立たないのですから・・・・。 >ようは習慣(意識的な習慣と強迫観念が入り混じった意味での習慣)が、中毒性に拍車をかけてるんじゃないか、って思うんだよね。 これは正解です。習慣になってやめられない、というひとは実はかなり多いのです。 なので、禁煙の方法はニコレットやニコチネルTTSなどを使い、ニコチンによる中毒を緩和し、喫煙の習慣をなくして、禁煙に持っていくのです。 >命に関わるまではそれほど重要な位置を占めていないのかもしれないね。 命に関わる前にやめましょうね(*∩_∩*)y゛ あ、なんかキツイこと書いてるように見えますけど、σ(゚∀゚ オレ!!は単にアンチテーゼを投げかけるのが好きなだけです(*´∇`*) ・・・・簡単に言うと天邪鬼 ( ̄∇ ̄*)y゛ あ゙・・・mixiのほうで、noeさんに助けを求めてみたが、良く考えたらnoeさんは愛煙家だ。 ・・・・これでは捨吉さんに加担されてしまうではないか∑(□゜;)ノ ぶwww というか、医療費云々の話を始めるときりがないんだけど・・・。 たとえば、結局のところ不安が病院に行く人の数を圧倒的に増やしていることも確かだと思うし、自力で治るところも過保護に薬に頼ったりしていることが医療費の増加に拍車をかけてるのは事実だと思うのよ。 で、その割合と、実際に肺がんになったりして、それにかかる医療費との相関を取ってみれば(これは想像でしかないけれど、というか想像しかできないけれど)、おそらくそういう不安が引っ張って自己治癒能力を信用しないで過保護に自分を扱ってしまう人の割合が圧倒的に多くなると思う。 ぼく自身はそれがいいとか悪いとかは言いたくないけど、とりあえずそれで人間がいままでの間に脆弱な部分を抱え込んできたことは事実だと思うのね。それに加えて昨今の健康ブームが拍車をかけてる。 人間ってさ、ホントに生きてるって実感するときに必ず健康だとは限らないと思う。そういうときでもそういうときは生きてる瞬間として自分に刻み付けられると思うのよ。そのとき生きててとてもよかった、ってね。 あは、天邪鬼ってか、意地を張るのが好きだよね・・・meroちゃんは・・・w mixiのコメントにもそれが出てるような気がしちゃったりしてww うほほ。 もうひとつ追加するとすれば。。 たばこという植物は、法律で栽培が規制されています。実際には一般の花壇や野生で見ることはまずできません。これは芥子にしてもそうだし、ほかの麻薬的な害を及ぼす植物についても同じです。 結局種として、すでに人間がコントロールしてしまっているわけ。で、それを野放しにしたら、今度は野生の大麻と同じような運命になるでしょう。ようは、絶滅するか、それとも野放しに中毒者を増やすか、ってことなんだけど。。 それがいいことなのかどうか。。ちょっと考えてみてちょw ちなみにフォローしておくと。。 まあmeroちゃんみたいに考える人は多いと思う。からだに悪いものは撲滅したほうがいい、ってのはひとつの方向だと思う。 でもからだに悪いっていったいどんなことなの?、生きるっていったい健康ならどんな人生でもいいの?ってことが問われていないままでは、やはりこれからいろいろ壁があると思うんだよね。個人としても、社会(コミュニティ)としても。 まあちょっと見方を変えて、もちろん自分=人間も大事だけど、そうじゃない生物はまた別の「大事」を持ってるかもしれない、って一枚岩じゃない柔軟性がこれからは求められるんじゃないかな? これが言ってみれば問題提起の骨子なんですよ^^ あ、そうそう、noeさん流に言えば、ライフカードの枚数って感じね^^ とかなんとかああだこうだとたばこくんの肩をもったら、二日続けて使っていたライターが壊れました。 一つ目は発火石が飛んじまって、二つ目はガスを出すレバーが折れました。 なんかたたられているんだろうか??それとも単にぼくの親指の力が強いだけ??ww タバコは上手いよねぇ~♪ >かっちゃん そだねぇ。。ただ、ぼくは不味いと感じるときにはタバコ何時間でも吸わないでいられます。まあ、めったに風邪とかもひかない(たぶんバカなんだろうなw)けど、そういうときにも、不味かったら吸わなくて済んじゃうの。 だから結局美味いと感じるときはまた自分でだいたいわかるから、そういうときは結構ヘビーに吸ってしまうなんて場合もあるんだけどね。まあやめるって言っても、ホントに吸うヒマがないほど忙しかったりしたら(寝る間もなくなっちまったら)、オタクなんで知らないうちにやめちゃってるかもしれない、とか思うよ。まじで。PCいじってるときも、そのやってることが面白かったり、こういう原稿を書いているときにそれに没頭していて、なんとかまとめようとしてるときには平気でタバコほったらかしで3時間くらいあっという間に経ってます。まあ程度問題なんだけどねぇ、こういう性格も。。。ww あと、よく大麻などを引き合いに出して、タバコは大麻なんかよりもずっと中毒性が高い、なんて言われることもあるけれど、実はぼくはこれも疑っているんです。上のコメントの内容と重複するけれど、ぼくは熱中しているときにはタバコを吸うこと自体を忘れていることが多いです。よくギターの練習をしていて、ギターを抱える前に一服してから、とか思って点けて灰皿において、弾きはじめてそれに熱中していていつの間にか根元まで灰になっていた、なんてことは日常茶飯事です。
それに、そういういわゆる「中毒性」について言えば、それが人間でなく、たとえば動物実験のデータや、人間でも統計学的数字でしかない場合、ホントにそうなのか、というのは実は曖昧なことに過ぎないと思っているので信用しないことにしています。そういう自分にとって信憑性のない「いわれ」(社会心理学的に言えばbelief:信じ込み)に振り回されるほどこっちもヒマじゃないんで。。www
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