レポートを書くなんてこというんじゃなかった、といささか後悔していないわけでもない。というよりも、あれだけあの場で興奮し、その余韻はまだ残ってはいるものの、実際にその場で感じたエネルギーと、ぼくの口を滑らかにし、何をしゃべらせたのか、ということをほとんど思い出せないのだ。 それはその場に行かないと、そしてその圧倒的な9枚の半畳分の絵の真ん中に身を置いてみないと感じることのできないパワーとやさしさ、剛直さとやわらかさ、きらめきと情熱、そして温かさ。そうしたことは、言葉にしてしまうとあまりに陳腐なものに聞こえてしまうから使いたくなかった。けれどそれ以上その場の雰囲気を現す的確な言葉などもはやないのだ。そう感じないわけにはいかない。 前々からずっと、ボクネンさんの展覧会には行こう行こうと思っていた。なぜそこに足が向かないのか、行ってみてようやくわかったとでも言おうか。 そこから離れられなくなってしまうのである。その場所の居心地がよすぎるのである。もうどうにでもしてくれ、とさえ開き直りたくなる。こっちがあまりに偽者臭くて嫌になる。いろんなことが頭をよぎる。 一人の人間として、そして版画家として、ある素晴らしい音楽家を二人も同時に呼び寄せ、またなんとも気持ちのいいスタッフを呼び寄せ、その下に何千何万というファンを呼び寄せ、新しい地平の上に支えてくれている大腕を持つ人。それが名嘉睦念という人なのだ、ということを実感したひとときでもあった。 人間ってどんなに醜くも美しくもなれるんだろう、なんてことさえ思わずにはいられなかった。信じる力の大きさというものをも思い知った、とでも言おうか。 これは一人の版画家の作品ではない。でも実際に作ったのは一人の版画家だ。けれどそこに描かれた限りない数の生きている人間や動物、はては神のようなものまでが、いまその紙の上から飛び出し、ぼくのからだにまとわりつき、精力を吸い取り、または与え、気がつかないうちにまた紙の上に戻って平然としている。あたかもなにごともなかったかのように。けれど彼らは次の獲物を狙っているか、またはまだぼくに何か残っているか、使える道具がないか物色している最中なのだ。 空に上がった花火は根を持っている。その絵の下に、使われているすべての色の根が張っている。すべてのきらめきの根源がそこから発している。大地、海、そして空。空気、風、炎の匂い、血のにおい。人の気配、鳥や動物たちの気配がぼくに迫ってくる。 光に惹かれるという人間たちが作った都市、それもまた人間にとっては野生なのだ、というボクネンさんの思いがぼくにのしかかる。塔の上からあざ笑う声が聞こえる。そこに向かって上っていく魂が見える。橋の上にきらめきが走る。船の上でそれを呆然と眺めているぼくがいる。ほかの船の上にいる人たちは、それがあたかも当たり前のように、その風景を受け入れ、楽しんでいる。 ぼくがそこに溶け込むためには、まず自分のからだを脱ぎ捨てなければならない。脱ぎ捨てて、そしてまた同じ人間になる。野生の人間になる。本来の姿に戻る。 実際、今これを書かせているものはぼくではないみたいに感じる。こんなことを書こうと思って書き出したわけではまったくないのだから。 でもしかし、それが本当に感じたことなのだ。説明してくれ、と言われても、それを感じに見に行ってください、という以外に方法はないのだ。 これがぼくにとっては、文章だけで表現できる最大のボクネンさんの展覧会の印象、あるいは感想なのだ。 それ以上のことを感じたければ、明日すぐに、どんな予定をもキャンセルして見に行ってください。きっとそこはあなたを離さないはずだから。 by sutekichi_no1 | 2007-02-26 23:02 | Art
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