カテゴリ:Art
  • 2007/02/27 ボクネンさん、ヒデオさんがぼくにくれたもの
    [ 2007-02-27 10:28 ]
  • 2007/02/26 「彩花満開展」 at BOKUNEN’S ART TOKYO
    [ 2007-02-26 23:02 ]
  • 2005/12/13 ウィンター・コンサート
    [ 2005-12-13 21:38 ]
  • 2005年11月30日 秋の終わりに Autumn Festival
    [ 2005-11-30 22:14 ]
  • 2005/09/08 Floating Flowers in Deep Space(Synchronicity)
    [ 2005-09-08 19:44 ]
2007/02/27 ボクネンさん、ヒデオさんがぼくにくれたもの

 昨夜はやはり興奮冷めやらずだったのか、12時に寝て2時に目が覚めてしまった。
 じつは前エントリの展覧会に行く前の日から過去一週間ほど、ほとんど毎日3時間程度しか寝ていない。その睡眠不足の状態で展覧会に行って、集中力が鈍ったままボクネンさんの絵と対峙したくはなかったので、おとといから昨日の出かけるまでの間はできる限り休もうと思っていた。

 また、おとといは、集中できる時間をなるべく作って、名嘉睦念さんという人間と、それを取り巻く世界をできるだけ鋭敏に感じておきたかった。ボクネンズのサイトに上がっている動画を、いままでダウンロードはしてきていたものの、一本目を見た段階で、これは片手間に見れるようなものじゃない、と感じたので、その後、現段階で初めのものもあわせて4本(その中にはインタビューも含まれています)、まとめて集中的に名嘉睦念という人の世界にからだを埋めるようにして、浸っておかないといけない、というある種の義務感があったのだ。そうでなければ簡単に跳ね飛ばされてぐうの音も出ないほどに叩きのめされてしまうかもしれない、そう感じていたからだ。

 以前、兄弟分であるTingaraのサイトのコメント欄にぼくはこう書いた。



 うーむ、男がほれる男ってこういう人なんでしょうね。
 一度手を合わせて、ボクネンさんは自分のイマジネーションの谷に降りていくよう…。。
 全身に気合が満ちていますね。すっと気配に耳を澄ました瞬間、ぼくのからだにもしゅんっと背筋に走るものを感じました。(以下略)



 その「しゅんっ」がぼくを動かすのである。何かがぼくに力を与え、ぼくの腕やからだを、あたかも自分で自由に動かせるものではなく、操られたからだのようにしてしまうのである。
 だからおいそれと見るわけには行かなかったのだ。単に動画を見る、ということにこれだけ躊躇したのもはじめてだった。

 そして、その動画を見た。4本続けて。
 案の定、それでことは終わらなかった。気がついたとき、ぼくはパソコンの電源を切り、昨年の暮れに吉祥寺で買っておいたボールドキャンバスの白い面の前に、画材一式とともに座っていた。ぼくはその白いキャンバスに手を合わせ、何かが訪れるのを待った。
 描いているときのことは何も覚えていない。ただ絵が何かを要求し、それにしたがって腕を動かしていた。

 途中、おかしいぞ、と気がついた。絵が描かれることを拒否し始めたのだ。ぼくはあきらめて筆を置いた。そして絵の具が乾くのを待った。

 それはその日のうちには何も言わなかった。けれど、ぼくは次の日の朝、つまり昨日の朝3時にふと目が覚めた。普通なら、これは早すぎるから、と寝る努力をするのだが、どうもその気になれなかった。起き上がって電気をつけ、その場に立って呆然とあたりを見回していた。そうすると、その絵がぼくを呼ぶ声が聞こえた。

 その絵はもう色を待っていた。その絵が求める色をぼくは取り出した。それから1時間半ほど、ぼくが何をしたのか、意識もはっきりしない状態だったのでよくは覚えていないけれど、ともかく筆をおいたとき、その絵は必要な色を持っていた。それが下の絵である。



 これが何に見えるのか、ぼくには自信がなかった。

 とりあえず、ついでだから、と思い、ボクネンズに行くときに持っていくものの一つとしてその絵を選んだ。ともかく誰かに見せるしかない、と思ったのだ。そして何に見えるか、まずその人が発する言葉からタイトルを決めようと思っていた。

 ボクネンズについたとき、絵が逸るのを感じた。今にもぼくの背中から画廊に飛び込んでいこうとした。ぼくはそれを抑え、玄関で手を合わせた。ぼく自身も心臓が高鳴っていた。入ったとき、いったいその空気はぼくを温かく迎えてくれるだろうか?
 いや、お迎えください。お願いします、とぼくは手を合わせた。

 入った瞬間、ぼくはそこに受け入れられたことを知った。そしてスタッフの美沙さんに迎えられた。

 美沙さんは、この絵を見た瞬間に、ひとこと「ふーむ、くらぁぐわぁですね」と言った。
 そうだ、とぼくは言った。それでこの絵のタイトルが決まった。
 この絵のタイトルは「くらぁぐわぁ」である。

 くらぁぐわぁ、とはスズメのことです。沖縄ではそう呼ぶらしい。そしてその動画が、Site Tingaraに載っている。それはヒデオさんが写した東京の桜の木にとまっているスズメたちのかわいらしい様子である。それを意識していなかったわけではない。けれど、ぼくの中に生まれたイメージはあの動画から得られたものではなく、ぼくのからだがヒデオさんのメッセージを通じて勝手に描きはじめたことである。
 なのでこの絵を評価することはぼくにはできないし、自信もない。
 ともかくいったいこの絵はなんなんだろう?という意味を込めて、いちおう写真を何枚か撮ったうち、絵にいちばん近いとぼくが感じるものを上げておきます。

 これがおとといから昨日にかけて、ボクネンさん、ヒデオさんからもらったものなのです。
by sutekichi_no1 | 2007-02-27 10:28 | Art | Comments(0)
2007/02/26 「彩花満開展」 at BOKUNEN’S ART TOKYO

 レポートを書くなんてこというんじゃなかった、といささか後悔していないわけでもない。というよりも、あれだけあの場で興奮し、その余韻はまだ残ってはいるものの、実際にその場で感じたエネルギーと、ぼくの口を滑らかにし、何をしゃべらせたのか、ということをほとんど思い出せないのだ。
 それはその場に行かないと、そしてその圧倒的な9枚の半畳分の絵の真ん中に身を置いてみないと感じることのできないパワーとやさしさ、剛直さとやわらかさ、きらめきと情熱、そして温かさ。そうしたことは、言葉にしてしまうとあまりに陳腐なものに聞こえてしまうから使いたくなかった。けれどそれ以上その場の雰囲気を現す的確な言葉などもはやないのだ。そう感じないわけにはいかない。

 前々からずっと、ボクネンさんの展覧会には行こう行こうと思っていた。なぜそこに足が向かないのか、行ってみてようやくわかったとでも言おうか。
 そこから離れられなくなってしまうのである。その場所の居心地がよすぎるのである。もうどうにでもしてくれ、とさえ開き直りたくなる。こっちがあまりに偽者臭くて嫌になる。いろんなことが頭をよぎる。

 一人の人間として、そして版画家として、ある素晴らしい音楽家を二人も同時に呼び寄せ、またなんとも気持ちのいいスタッフを呼び寄せ、その下に何千何万というファンを呼び寄せ、新しい地平の上に支えてくれている大腕を持つ人。それが名嘉睦念という人なのだ、ということを実感したひとときでもあった。
 人間ってどんなに醜くも美しくもなれるんだろう、なんてことさえ思わずにはいられなかった。信じる力の大きさというものをも思い知った、とでも言おうか。

 これは一人の版画家の作品ではない。でも実際に作ったのは一人の版画家だ。けれどそこに描かれた限りない数の生きている人間や動物、はては神のようなものまでが、いまその紙の上から飛び出し、ぼくのからだにまとわりつき、精力を吸い取り、または与え、気がつかないうちにまた紙の上に戻って平然としている。あたかもなにごともなかったかのように。けれど彼らは次の獲物を狙っているか、またはまだぼくに何か残っているか、使える道具がないか物色している最中なのだ。
 空に上がった花火は根を持っている。その絵の下に、使われているすべての色の根が張っている。すべてのきらめきの根源がそこから発している。大地、海、そして空。空気、風、炎の匂い、血のにおい。人の気配、鳥や動物たちの気配がぼくに迫ってくる。

 光に惹かれるという人間たちが作った都市、それもまた人間にとっては野生なのだ、というボクネンさんの思いがぼくにのしかかる。塔の上からあざ笑う声が聞こえる。そこに向かって上っていく魂が見える。橋の上にきらめきが走る。船の上でそれを呆然と眺めているぼくがいる。ほかの船の上にいる人たちは、それがあたかも当たり前のように、その風景を受け入れ、楽しんでいる。
 ぼくがそこに溶け込むためには、まず自分のからだを脱ぎ捨てなければならない。脱ぎ捨てて、そしてまた同じ人間になる。野生の人間になる。本来の姿に戻る。
 実際、今これを書かせているものはぼくではないみたいに感じる。こんなことを書こうと思って書き出したわけではまったくないのだから。

 でもしかし、それが本当に感じたことなのだ。説明してくれ、と言われても、それを感じに見に行ってください、という以外に方法はないのだ。

 これがぼくにとっては、文章だけで表現できる最大のボクネンさんの展覧会の印象、あるいは感想なのだ。

 それ以上のことを感じたければ、明日すぐに、どんな予定をもキャンセルして見に行ってください。きっとそこはあなたを離さないはずだから。
by sutekichi_no1 | 2007-02-26 23:02 | Art | Comments(3)
2005/12/13 ウィンター・コンサート
 昨日、今日と多摩総に行ってきました。寒気がきて寒いですけど、朝の多摩センターから多摩総までの1km弱の道のりは、冬独特のさわやかさがあって、気持ちのいい歩きでした。
 僕はもともと冬が嫌いではなく、昔スキーをやっていたころは、西高東低、という言葉を聞いただけでわくわくしたものでした。それ以前も、なぜか冬は楽しいことが多くて(山羊座だということもありますが)、その上極端な汗っかきのせいで、夏より冬によく動くタイプでした。テニスを始めてから自分が意外に暑さに強いんで、またびっくりでしたけど^^;

 作業はクラフトですが、内容は切手の分類・整理です。これはかなり集中力と神経を使うので、二日間でかなりくたびれました。まあでも、もともとデータベース構築・運営・管理なんかをやっていて、わけのわからない数字の羅列の表を見慣れていた身としては、それなりに絵があって楽しいじゃん、まだしも、とか言い聞かせながらやってたんだけどね^^;;

 さて、今日は以前ここでちょっと触れた、多摩総内のイベント、ウィンター・コンサートがありました。僕はアート・クラブにいるんだけど、ほかにもいくつかクラブがあって、その中のひとつが音楽クラブです。その音楽クラブが毎年夏と冬にうちわでコンサートをやることになっています。夏は独奏する人もいたのですが、今回は合唱とボディ・パーカッションといった全体のものと、みんなで歌うクリスマスソングなどが主でした。でも、久々に声を出したり、友だちが一生懸命歌っているのを見るのは気持ちのいいことでした。
 音楽クラブを指導している先生のピアノ独奏:「ショパン・序奏と華麗なポロネーズ」もとても素敵でしたし、音楽ってやっぱりいいですね(^ー^) またがんばってギターの練習にも励みます^^; ということで、今日はそのために描いたポスターを掲載します。



 冬はこれからですけれど、これを読んでいただいている方も、風邪(こころの風邪を含む)をひかないように、ひいても早く治るように、ご自愛ください・・・。
by sutekichi_no1 | 2005-12-13 21:38 | Art | Comments(2)
2005年11月30日 秋の終わりに Autumn Festival
 9,10,11月と体調が優れず、それに加えて治っても多少の腰の重さで出不精になりがちだったので、結局いろいろと担当の人と話し合った結果、足が向かないのは仕事(作業)が向いてないからなんじゃないの?ということになって、12月から多摩総はクラフトに移籍します。
まあ、自分なりに精一杯やっているつもりでも、なかなかうまくことが運ぶとは限らない。続かなかったことはちょっと残念だけど、期間もあるし、何よりも社会復帰を目指さなければ意味がない、ここのところ精神的にもだいぶ安定してきたし…きちんと目的をもってやりましょう、ということで、明日から職探しに出ます。今まで考えても見なかったところらへんを開拓してみるつもり…。

 ところで、風邪で休む前にアート・クラブで描いた絵があったんだけど、昨日まで撮れませんでした。撮ったのはいいけど、三脚なしだったのでフラッシュをたいたら、厚塗りしてある部分が光ってしまいました。その点をご容赦くださいまし。ちなみに、昨日は別に一枚描いたんだけど、それはうちわのイベントのポスターなので、イベントが終わってから公開しようと思います。
 いちおう、”Autumn Festival” というタイトルにしてみました。

by sutekichi_no1 | 2005-11-30 22:14 | Art | Comments(5)
2005/09/08 Floating Flowers in Deep Space(Synchronicity)
 多摩総のアートクラブで描いた水彩画です。

by sutekichi_no1 | 2005-09-08 19:44 | Art | Comments(0)